Business Details

松源を語る

今年で創業76年。日本の青果の最前線、
大田市場で活躍する仲卸業者・松源には、
果物業界のことを知りつくした達人が多数います。
長い間単一の品種を扱い続け、
その品種のあらゆることに精通している人。
会社経営をグループ規模で俯瞰し、
業界動向と鑑みて、
会社の今後について常に考えを巡らす人。
彼らの生の言葉で、業界のこと、市場のこと、
松源のこと語っていただきました。

Special interview 松源の歴史 鹿間 茂

松源の歴史

から変わらない営業のスタイル。

松源の歴史は青果業界、小売業界の歴史でもあります。創業は76年になりますが、当時は神田の青果市場から始まりました。やがて高度経済成長になり、流通網が発達して、弊社も大手スーパーと手を組み、現在の約2倍以上の売り上げ規模で営業をしておりました。
そこからバブルが弾け、流通再編の時代が来て、東西の大手スーパーが倒れ、また新たなスーパーチェーンができてくる。今や大きくなっているスーパーも、元々は戸板一枚の八百屋さんだったり、地方の1商店だったところなどもあります。栄枯盛衰、いろんなことがありました。そんな中で、松源は仲卸を続けてきております。営業のスタイルは基本的には変わっておりません。実際にサンプルを見ていただいて、物も見ていただいて、たまには食べていただいて、販売をする。そういう形で伝統を守りながら量販店に対応していく。それから加工の方に回したり輸出をしたり、そういった産業への対応をして参りました。

松源の歴史
源はグループで
時代に対応してきました。


我々グループに話を移しますと、まずは昭島に株式会社 昭島松源を作りました。次に関東一円にネットワークを作ろうということで、株式会社 宇都宮松源という会社を作りました。同時に八王子にも八王子松源を作り、また埼玉には浦和、上尾、大宮の市場を統合して中央市場を作るという話がありまして、それに対応するように埼玉松源を作りました。結果、埼玉県は中央市場にはならなかったですが。今度は昭島市場そのものが川崎北部市場と統合して、昭島松源は一緒に移転したわけです。こちらの市場は都下の南の玄関口として非常に伸びています。そのように、広範囲にネットワークを作りながら、社会情勢に組織を可変させ、対応してまいりました。
ここ大田市場の株式会社松源が恵まれているのは、大田市場という、物が集積する場所があって、人も来るので、顔を見てバイヤーと話をしながら、という売り方ができます。一方で、情報も集まってくるので、それも活用できます。最近では、目利きではなく、情報をもとに買うバイヤーさんも増えましたが、昨今のような異常気象下では、一年前の情報も当てになりませんから。その意味で、経験が生きる目利きと常に最新の情報、その両方を大事にしていきます。


い人たちが中心になる、
松源のこれからに期待。


松源は長い間やり方を貫いて事業を進めてまいりましたが、時代ごとにその時のリーダーがその時代に合わせて少しずつ変革してきたように、これからも時代に合わせて少しずつ変化していくのだと思います。
特に最近はさまざまな技術革新でやり方が変わってきています。そのために、会社側も未来をどう考え、どんな人材が必要で、それを集めるためにどうするかを真剣に考えるタイミングがきているのかもしれませんね、 果物、さらには農産物にまつわる状況は今、混迷を極めていると思います。松源は一仲卸会社ではありますが、日本の食糧問題、農産物の輸出の問題、食料自給率の向上の問題、それら課題に真剣に向き合って、解決していく気概のある若いものを待ち望んでおりますね。
農業を通じて社会貢献したい方。果物を扱う最前線にいることで、例えば農薬を使わない果物の良さをアピールし、環境に配慮する流れを作るとか、産地の方の生産意欲や就農意欲を高めるような販売のサポートをするとか、そういった広い視野で高い意識を持った人間を待ち望んでいます。
そのためには農業の知識があろうがなかろうが、問題ありません。ぜひやる気のある方をお待ちしています!

鹿間 茂
1968年入社

鹿間 茂

Special interview 松源の歴史 中島 徹


別な果物・メロンと松源。

株式会社松源にとってメロンは看板みたいなものですね。先輩たちの代からずっとそうです。売り上げや取り扱い数が多いとかではなく、松源を語る上での象徴的存在ですね。その中で、私はメロンだけを40年以上やり続けています。
毎日セリに立って、バイヤーさんから要望が入ったものに関して、お応えし、競り落とすというのが主な仕事になります。銀座千疋屋さん、日本橋千疋屋さん、新宿高野さん、明治屋さん、紀ノ国屋さんなど、名だたる果物有名店とお取引をさせていただいております。
良い品を見定めながら、毎日入荷するメロンを手で触り、中を弾いて、一つ一つ直接状態を確認します。その目利きの技術とは一方で、情報という観点も我々には重要な点になります。情報は基本セリ人(東京青果株式会社)から入ります。産地の情報が届いて、「今いい状況ですよ。」とか「今かなり悪いからものが少ないですよ」など、産地ごとの状況や地域の気候など、果物の栽培・収穫に関わる詳細な情報を聞きます。それをお客様に伝えるのも私たちの仕事になります。 大田市場にはメロンのセリにだけ特別な場所が用意されていて、その中でも松源には真ん中の位置を用意されています。一番見やすい位置ですね。もう何十年も前からあそこです。代替わりしてもずっとあそこ。セリのスピードも、他の果物は何十ケースとかの単位でやりますが、メロンに関してはいまだに1ケースずつ行っています。その意味でも、メロンはいまだに特殊な果物なのだと思います。

松源の歴史
ロンの市場について。

私がこの仕事を始めた40年くらい前から比べると、メロンの数量はガタッと減りましたね。半分以下ぐらいではないでしょうか。例えば今日も競売に並んでいましたよね。全部で3〜40ケースぐらいだったと思うのですが、その当時は一度に200ケースほど並ぶ、そういう時代でしたね。その理由は生産者が減っていることが大きいと思います。
一方で、メロンそのものの品質は良くはなってきていると思います。時期の問題はありますが、7月ごろはかなり良いものが揃っていて、そのあと減って、また11月ぐらいになると再び良くなってくるという流れです。産地も、私が始めた頃は静岡がメイン産地で、いろいろ選べたのですが、今は北海道からも仕入れたりして、工夫をしながら品質や売り上げ数を確保しております。
ここ大田市場には関東中で扱うメロンが集まってきます。その中で松源がリードしているのは買う数ですかね。クラウンメロンだけじゃなく、メロン全体で見れば圧倒的と言っていいほどの扱い量があります。


術だけじゃない、
目利きという仕事。


目利きのポイントは人それぞれ違います。また、ついているお客さんの要望によっても変わってきますね。「これ買って欲しい」とか。商品の状況も必ず一定ではありませんので、それぞれに対応した上で良いものを見分けることができる力を持っていないとダメ、ということですね。 メロンがわかるようになってきたのは、始めて3〜5年くらいでしょうか。当時の先輩が「自分だったらこれ買うよ」とかアドバイスを言っていただき、それを取り入れながら、自分なりの見方というのも加味して、やり方を確立していきましたね。その技術が上がるからバイヤーさんたちにも信頼されて、お客さんがついていく、そういうサイクルです。
昔はよく、シーズンの始まりと終わりには産地に出向いて、調査と勉強の目的で農家さんと直接話をしていました。そこで顔をつけ合わせるということが重要で、品質はもちろんですが、買う人の人柄も重要で、人と人とのつながりで、関係を構築して、商売を形成していくという側面もありますね。結局売るのは人ですから。
まだ何も知らない頃に一人で産地に行かされて、現地で酒飲まされて、人と人との交流から始める。そのおかげで産地に行っても「トオルちゃん、トオルちゃん」って言われていましたね。最近は無くなっちゃいましたけど。これも時代の流れでしょうか。


変する青果の業界。

以前は百貨店が良い品を集めて、販売をしていたのですが、今やスーパーが強くて、松源の売上でもスーパーの方が大きくなっていますね。スーパーだけで売上全体の80%ぐらいあるのではないでしょうか。個人の青果店も減ってきていますし、その意味でスーパーがメインになり、良い果物が届く流れができています。消費者の買い方の変化も大きいでしょうね。
小売店だけではなく、生産側も昔とは大きく変わってきています。作り手の減少に加えて、昨今の天候の厳しさで、生産者の数や生産量がどんどん減ってきています。若手で新たに始められるニュースとかも見ますが、やはりまだ数は少ないのが現状ですね。


く知らないところから始めて40年以上。これからの若い人にも期待。

現在66歳。社会人になって、最初は薬の営業をやっていました。松源に転職した理由はお給料が良かったから(笑)。当時で3万円くらい良かったかな。ですので、果物のこととか、全然知らないところから始めました。そこから特別勉強した感覚はなくて、先輩方といろんなコミュニケーションを取りながら、現場を見ながら。当時の先輩方は型に嵌めるタイプではなく、好きにやれ!と言っていただける方々だったので、好きにやらせていただきましたね。そこから40年以上続けております。
自分もしてきていただいたことですので、今では後進の教育も注力をしております。できるだけ現場に立たせながら、簡単なところからやらせていますね。本当は、もう全部やらせてもいいのですけど、お客様の手前、まだ私がやっているところはあります。まだ必要とされていると言いますか。ありがたい話ですが。
時代は、特に小売はこれから厳しい時代になっていくかもしれません。だからそこをどう持ちこたえていくか、会社としても今が踏ん張りどころだと思いますね。私の目から見て、若い子達はみんな頑張っていますよ。彼らは会社という看板ではなく、自分が仕事をやる!という意識でやってくれていますから、その意味では将来は安心していますね。

中島 徹
1979年入社

中島 徹